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万年山 「松岳寺」 永代供養 : 小山善介常久と共に |

元和五年なか(1619年)、福島正則改易蟄居。 家臣であった 小山善介常久も多くの家臣と共に広島の地を追われ避散する。善介は中国山中へ妻と共に逃避。そして備中庄 川上郡大賀村下刈に入ったところで当村大庄屋であった当家に取り子取り嫁で養子として入籍。その後当地で算勘手習いの業を得、その地において知遇を受ける。
此処の所から古文書が残り郡誌に記載され当家の過去が読み取れる。
その菩提寺が松岳寺。そして大賀村野呂には当時からの傘付き墓石がひっそりとだが大量に残されている。
私の亡き父母もまだこのお寺に入っていないが、いずれご先祖と一緒に永代供養され眠ることになる。
お寺が余りにも古びて最近改築された。現在は庫裏も再建されつつある。
山の懐にすっぽり包み込まれたようなすばらしい環境にあるお寺だ。
気がかりなことが一つある。この地 現在高齢化が極端に進み過疎になり大変な状況なのだ。和尚さんの話によれば過去にも無住の時期が一時あったと仰っていた。
そのようなことが起きないことを願うばかり。
『余談』
福島正則の没後お家は断絶と言う事になっているが、おっとどっこい福島正則に別腹(妾腹)があり姫が授かっていた。その姫は京で密かに宮中へ宮使えし適齢になった頃さる方に輿入れされている。
そのさる方とは 千利休三世 伯宗宗旦(げんぱくそうたん)(1578-1658)の子 (次男)一翁宗守に(この時三千家に分かれた内のその一つ武者小路官休庵 初代)嫁がれている。官休庵とは
なお 京 武者小路千家のお庭には福島正則をお祀りする祠(お稲荷様)が現存し、毎年祭礼も行われています。
なぜお稲荷様にしたかについては福島正則の娘と言うこともあり当時の徳川家への配慮から大っぴらに出来ず、お稲荷様ということで密かにお祭りをしたのではないかと憶測されると、聞きました。
このことについては十四代宗守様にお会いしたとき直接お聞きしたので間違いはありません。
また、日本文化、特に茶道史に造詣深い熊倉功夫先生にお目にかかった際、この事をお尋ねしたら「そのようです」と仰っていました。
十四代宗守様から、年に一度お祭りをしていますのでぜひお越しくださいと言って下さいましたが、未だお伺い出来ていません。
つまり官休庵は私の主家・・・宗守様は私のお殿様と言う事になります。
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ノンカテゴリー07.9.12更新
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