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村上春樹『国境の南、太陽の西』 |

「でもそのときの僕にはわかっていなかったのだ。自分がいつか誰かを、とりかえしがつかないくらい深く傷つけるかもしれないということが。人間というのはある場合には、その人間が存在しているというだけで誰かを傷つけてしまうことになるのだ」
文章の書き出しを主人公の生年月日から始め、一人っ子という生い立ちを続けていくスタイルはそれまでの村上氏にはありえなかった。小学校の時に好意をよせていた島本さん、高校生の時の恋人イズミ、三十歳で結婚した有紀子。小説の三分の一が女性遍歴的なものに裂かれた後、僕は島本さんと再会し不倫関係のようなものに落ちる。主人公と有紀子は離婚ギリギリまでいくが、島本さんは姿を消し、表情のないイズミを見た後、有紀子と和解し、小説は閉じられる。
村上氏は最後の「誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、僕はずっとそんな海のことを考えていた。」という最後の文章について、島本さんの手かもしれないというホラー的な要素を自分で指摘している。現実か夢かあいまいな世界での不倫により壊れかけた現実の世界が修復された途端、崩壊に至るかもしれないという可能性を残したまま小説は終わられるのである。
しかし最後の手は島本さんではありえない。彼女は太陽の西に行ってしまったのであり、そこに戻るなら、この小説が書かれた、あるいは読まれた意味は何もなくなってしまう気がする。「海に降る雨」に託された優しさと悲しみこそが、この小説の締めくくりにふさわしいはずである。
『女流作家論』か何かで、この小説は男の一人よがりと批判されていた記憶があるが、有紀子が「あなたが好きだから」の一言で許してしまうあたりは女性が書けているかというと、甘い気はする。しかし『ねじ巻き鳥クロニクル』まで引っ掛けていけば、理解し得ない闇というモチーフの前段階だったのかもしれない。
羅列になったが、最後に個人的なことを一つ。
栞代わりに挟まれた、近鉄の切符。「上本町→610円-214」。何年前のバレンタインの日に、僕はわざわざ橿原神宮までの電車で、この小説を読んだのだろう?
そして今読み返して、この感想の差は何なのだろう?
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書籍07.8.9更新
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